まず優しくないと何をやっても意味がない。
そこの根本のことしか思わない。
なんかね。喫茶店で、電話してる人がいるとします。電話口の相手にすごく怒ってるとします。
そんなシーンよく見るでしょう。
断片的に会話が聞こえてくる。
混みいった話っぽいし、盗み聞きするほど興味もない。こっちゃネタ書きにきとるし。
そういう時に、なんとなく、電話の向こうが悪いのか、この人がワガママなのか、なんとなく、“人として生きてきた本能”として感じるものがあります。
たとえば、電話の声がうるさすぎる、とか。
周りに配慮できないこの人が怒ってるっていうことは、向こうのほうが、まともでこの人がおかしいのか、またはどっちもどっちなのか、とか。
腹が立って電話で怒鳴りつけたいとしても、まあ、喫茶店ではなく、急ぎでなければ家からかけ直すとか、色々やり方ありますからね。
なんか、その、電話の内容や、混みいった事実は聞くまでもない感じ。
百パーセントではないけど、大体当たってる気がします。
性格悪いやつが空手をはじめても、性格が良くなることはない。
空手を使って人をいじめるだけである。
空手を通した人間関係や教育がしっかりしていれば、まともになることもあるけれど、本質的には、悪いやつが何かを手に入れたら、悪いことに使うだけだ。
人を差別したい、という根本的に邪悪なものを持っている人間が、歴史をたくさん勉強しても、知らず知らずのうちに、自分の邪悪な偏見を満たす本を選んで知識を得たりするので、もっとひでえバケモノになる。
実際にそういう人物を知ってる。
原発について、賛成なのか、反対なのか。
なんとなく、よく知らないうちから、なんとなくの結論をみんな持っていて、賛成の人は賛成派の本を買って勉強し、反対の人は反対派の本を買う。
普段優しくない芸人が舞台でウケることもある。
優しくないという土台の上に“お笑いで笑わせるためのテクニック”をたくさん上乗せしている。
でも、それでも笑いはとれたりするんよね。
でも、優しくない人は、結局優しくないんだ。
僕は、空手は優しい人間に習ってほしいし、人を笑わせるテクニックは、優しい人間が身につけてほしいし、警察官のほうが泥棒よりも足が速くあってほしいのです。
一律に体育を教えて、みんながふわっと足が速くなることに、さほどの意義を感じない。
警察官になってほしいような人に、足が速くなってほしい。
一律に化学を教えて、みんながふわっと化学の知識を手に入ることは危険だと思う。
武器を作る人になるのか?花火を作る人になるのか?
僕は、優しくないので、花火を作ってる人を、お笑いでつちかったテクニックでバーカにして、わーらいものにして、後ろから化学兵器で、ぶーちころして、そーれを歌にして、全世界ではーやらせたいです。
ま、というわけで、わたしは、まだ優しくないので、神様から売れるのをストップされているようです。
みなさんは、人に優しくしてますか?