以下は私の師匠、小林七郎さんが2012年の講演会でインタビューされた記事です。
以下記事から一部抜粋。
質問「アニメ業界に求められる人材とは?」
小林「描ける人。その上にセンスがあること。」
「描く努力を続け、それを面白いと思えるか。」
「描いて、壁に貼って、また描いて貼る。」
「比べる。」
「差に気づく。」
「『もっとこうしよう』とまた描く。」
「それを繰り返し繰り返し続けられればそれが才能。」
「未熟な自分、だめな自分と向き合うのはつらいけど、そこから『もっともっと』と闘っていかないと向上しない。」
「『本気さえ出せば』とか『授業でちゃんと習えば』なんていうのは言い訳。」
「力のある人は自分で自分を磨くことができる。」
「才能があるかどうかは、自分に聞けばいいんです。」
今読むと、これはある意味マニア的な比較論に感じますが、マニア(アマチュアorファン)と違うのは自分を客観視するための手段であり、自分を成長させるため、新しい事に繋がるために使ってる点です。
他者(他者の作った物含む)を批評する事に止まると過去の物以上の新しい物を作り上げる創造力が欠如し、同じ素材で新作を作る時に「いや過去にああだったから駄目だろう。」と言う後ろ向きな思考に陥り易いです。
だから過去の物の再現を技術(理論)で作る方向に行きがちです。
それは再現か加工の域を出ないので素晴らしい量産品を作る商品としては良いのですが、機械(オートメーション)やデジタル技術(アプリ)と言った人(作り手)の仕事を減らして行く事になるので”使われる人”ではなく”使う人”向けの考え方だと思います。
アニメ等の映像媒体の場合、その辺がちゃんと見定めないと要領だけで自分の立ち位置を見誤る場合が多々あります。
作品(オリジナル)を作る人なのか? 作品をソフト化して量産する人なのか?
と書くと判り易いと思いますが、大規模な分担作業でシステム化されている映像作品ではファジーになりがちなのでSNS等でよく議論に発展しがちです。
「いや、こうすれば面白くなる。」と自分流の料理方法をイメージして模索出来る人は例え表現手段が古く見えても新しい物になって行くと私は思います。
努力とは大変な事をするから得られると思います。
努力とは険しい道を切り開きながら最終的には近道になる事だと思います。
一見、効率が良い楽な道を選択したつもりが実は途轍もない遠回りをしている、これは努力の”つもり”であって努力とは呼ばないと昔、師匠から教わりました。
観るのも食べるのも人間と言うアナログな(神経を使って感じる)存在だから見失わない様にしたい物です。
アニメ業界に限らず物作りの才能ってそこがポイントなんじゃないかなと。
所謂天才と言う方はその辺が感が良くて超越しているので、私の様な凡人がとやかく言う事では無いと感じ、むしろ勉強させてもらってる感じですね。
だから努力の仕方を間違うと報われない事があるのが人生ですが。
え?そんな事解っとるがな!?
失礼しましたー