3月19日朝チャック・ベリーの訃報をTwitterで知った。
自分は失礼ながらすでにお亡くなりになっていると思っていたので驚いた。
多くのロックミュージシャンからのお悔みのツイート。
ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ローリング・ストーンズ、スティング、スラッシュ等々
ジョン・レノンとポール・マッカートニーが好きな歌手の一人としてあげているし
2枚目のLP『ウィズ・ザ・ビートルズ』で「ロール・オーバー・ベートヴェン」をカバーしている所からもその影響力は非常に大きい。
(余談だがローリング・ストーンズのデビュー曲はチャック・ベリーの「カム・オン」。)
さて1962年10月、「ラブ・ミー・ドゥ」でデビュー。
ちなみに録音前にピート・ベストを解雇し、リンゴ・スターが叩いているのが初版シングル盤音源。
再版シングルとLP盤の演奏はスタジオ・ミュージシャンが叩いている音源。
しかもピート・ベストが叩いている音源もあるという大人の事情が色々あるデビュー盤。
「5人目のビートルズ」と評されたプロデューサーのジョージ・マーティンが
リンゴのドラムをよく思っていなかったからスタジオ・ミュージシャンに叩かせたらしい。
リンゴは痛く傷ついたらしい。
ただこの手のお話はよくあることのようで、昔一緒に仕事をしていた元ミュージシャンの方から
お話を聞いたことがあるのだが、デビュー盤の録音でスタジオに行ったらすでに自分達の作曲した作品なのに
スタジオ・ミュージシャンが作ったオケがすでに出来ていて(コード進行も変わっていた)それに合わせて歌入れをしただけで録音終了。
またコンサートの時にはバック・バンドがいないので、自作の曲をコピー練習して演奏しないといけないという
訳のわからないことになったらしい。(作詞が松本隆と聞いて喜んだらしいが、今となってはそれも怪しいのでは…)
こんなお話は多分掃いて捨てるほどあるに違いない。
曲自体は正直ビートルズらしい活きというかノリがあまり感じられない。
ジョンの吹くハーモニカは好きなのだが。
曲はヒット・チャートの20位以内が最高位とまずまずのスタート。
ジョージ・マーティンは次のシングル曲をプロの作曲家の作品にするつもりだったのだが、
最終的に「プリーズ・プリーズ・ミー」になった。ここからビートルズの進撃が始まる。
付録:大槻ケンヂさんが「電車」というバンドでコピーをしていた「私のビートルズ」