世界で売れるにはまずアメリカでヒットシングルを出して、ビルボード誌などの音楽雑誌のチャートにのせることが世界で売れることが重要であった時代。
ラジオのDJがビートルズの曲を流し、アメリカ上陸で約3ヶ月かけて廻り「エド・サリバンショー」に2回出演。
1964年4月には米ビルボードチャート上位5位まで独占。
曲は一位から「キャント・バイ・ミー・ラブ」「ツイスト・アンド・シャウト」「シー・ラヴズ・ユ-」「抱きしめたい」「「プリーズ・プリーズ・ミー」
六月にはデンマーク、オランダ、香港、オーストラリア、ニュージーランドを回る世界ツアー。(途中リンゴが体調をくずし、ジミー・二コルが代理ドラマーに。)
7月に映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』公開。
この曲の「ジャアーン!」というギターのイントロにはヤラレタ人は多いはず。
8月からは第2回アメリカツアー。(34日間、24都市で32公演が開催)
アメリカは、東はニューヨークから西はサンフランシスコで約3時間近い時差がある国。
長いツアーは過酷で、またどこに行ってもキャアキャアという声に追い回され自由に外出も許されないストレスとプレッシャーの日々。
世界で売れるにはアメリカで売れないといけないという条件は今現在ではどうかは知らないが
あの「U2」もアイルランドのいちローカルバンドから世界にのし上がっていくには苦労したそうだ。
だから、アメリカで売れるまでアメリカツアーを、それこそ「どさまわり」とも思える回数のツアーを行ったという。
9月に帰国し、アルバム『ビートルズ・フォー・セール』を録音。
10月からイギリスの27都市で公演を。12月4日、イギリスで『ビートルズ・フォー・セール』を発売。
自分は正直このアルバムあまり聞いてません。ごめんなさい。
強いてあげるなら「ロックンロール・ミュージック」(チャック・ベリーのカバー)と「アイル・フォロー・ザ・サン」
このようにして濃密な1964年が終わる。
追記:この頃のジョン・レノンは絶好調。
最期に『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』から