きっかけはありませんでした。気がつけば「怪獣映画」が大好きでした。まだ小学校にも行ってない時のことです。隣のお兄さんが持っていた漫画の月刊誌をパラパラと見ていたら、そこに1枚の怪獣の写真が載っていました。今思うと、それは「原子怪獣現る」という作品に登場したリドサウルスという怪獣だったのですが、その1枚の写真のかっこよさにうっとりしてしまったことを覚えています。怪獣は、なにかこう頭の深い所に訴えかけてくるのですね。怪獣のかっこよさや怪獣映画の成り立ちについては、いろいろ理由や理屈をつけることは出来ます。でもそんな理屈づけが必要なのでしょうか?僕は、一人の怪獣ファンとして言いたいのですが、怪獣映画に理屈は不要なのです。怪獣をメタファとして捉える人は多いです。確かに怪獣を理屈づけしようとしたら、メタファ論にならざるを得ないとは思います。つまり、人間が造り上げた文明を人智を超えた存在が破壊する……その恐怖と快感こそが怪獣映画の醍醐味なのだと論破すればそれなりに説得力は醸し出されますよね。でも、果たして怪獣映画や怪獣をそんなチープな論理に落としこんでいいものなのでしょうか?ガイラが逃げ惑う女性を掴んで頭からバリバリと食べるシーンに理屈は必要ですか?そうではないですよね。あのシンプルなまでに怪獣の存在としての恐怖を画面に焼き付けた特撮スタッフの感性に拍手をおくることこそが、怪獣に対するオマージュだと思うのです。今夏、全ての怪獣ファン、怪獣映画マニア、特撮クラスタの祈りの中であの「シン・ゴジラ」が公開されます。変な理屈づけのない、ストレートな怪獣映画として完成されることを願ってやみません。